2017.05.29 09:57集団疎開で目が覚めた盤脚院は東海道線の藤枝の駅から2里程入った所にあった。山門を潜ってだらだら坂を潜って寺の境内に出ると、正面に本堂がある。昼間の自由時間はその境内で竹馬にのって遊んだ。竹馬は自分で山から取って来た生竹と荒縄で工夫して作った。晧三は,二輪車に乗れるのが夢だった。大森山王の近辺の友達が自由に自転車に乗っているのを横目で見て羨ましくて仕方無かった...
2017.05.25 06:29ショパンの夕大森山王からそれ程遠くない、東京工大で「ショパンの夕」と言うイベントがあった。その当時あまり音楽イベント等それ程頻繁には無かった。若い人達の間では「ショパンって一体何?」とか、このイベント評して、ある新聞では「ショパンの「た」「TA」とは何?」と言うニュース記事が出たと隆之輔から笑い話を教えて呉れた。兄、隆之輔はその頃からジャーナリスト志...
2017.05.21 06:22勉強のきっかけはデブのシロ猫だったオス猫のシロは 聡明で精悍なタマの遺伝子とは全く異なっていた。マルマル と太った、白猫だった。ジーット目を瞑り、外の景色を飽きる事無く、ぼんやりしている姿が4歳の頃の自分の姿に似ていた。小4の集団疎開で一皮むけて、体育系になったが、中2で文系に俄かに変わった。文系に変わると同時に学習意欲が猛然と出て来た。そのきっかけは、中2の国語の玉置先...
2017.05.19 07:57山上晧三の生い立ち晧三は幼い頃から父親、栄から省三の話 は何度も何度も聞かされ育った。 「晧三のお爺ちゃんは身体の大きなお侍 だったのだぞ!お前も強く、大きく成るん だぞ!」時には散歩をしながら、又ある時 は添え寝をし乍ら」耳にタコが出来る程聞 かされて来た。 だが、物心がつく迄、強そうなお侍だった のだな!程度の感覚で心の底には響いて は居なか...
2017.05.19 01:29血だらけになった栄 昭和19年は大東亜戦争も雲行きは悪くなって 来たのに、ラジオ放送は勝ち話の景気の良い ニュースばかりだった。 だが、山本元帥の死の情報依頼、俄かに東京 を離れるクラスメートが多く、暗いニュース は子供なりに肌で感じていた。 大田区、山王小学校(旧第三国民学校)の大半 は親戚へ縁故疎開で、他は集...
2017.05.18 11:54鹿児島の田中省三鹿児島の田中省三は18歳で西南戦争に参加した男で、晧三の祖父。幼い頃から父親、栄や兄隆之輔から耳にタコが出来る程聞かされ来た。明治の風雲児だと言う事だ。晧三は、昔の事には余り関心がない男なので、何れ時間が出来て、気が向いたらこの男にもっと思いを寄せて見ようと思っていた。娘の真喜子が九州、宮崎の愛甲家と縁が出来て、宮崎へご挨拶に行った際、ご...
2017.05.18 11:51都都逸の歌から父、栄を忖度父、栄は都都逸が好きだった。又格言も良く、口をついて出て来た。「世間渡るにゃ豆腐のように四角四面で柔らかく」「上見ればあの星(欲)彼(星)星だらけ、下見て暮らせ(星)の気も無し」とか、偉い役人等に会った時は「深々と頭を下げて、靴の紐が大丈夫かどうか、見るのだ」とか、「商いをするには、俺が俺がの我を通さず、お陰、お陰の下(ゲ)で暮らせ」「男...
2017.05.18 09:44田崎方規の思い出浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ。こんな、歌舞伎言葉や謡曲等を教えて呉れた。その他、数え切れない貢献を山上家に齎して呉れた方だったので、特記しなければならない。田崎方規氏は今考えると山上家の大黒柱だったと思う。 そのように、仕向、育て、有無も言わさず、そのように したのは、やはり決断と実行力のあった、母親、賀世子 だった。...
2017.05.18 09:38恩賜のタバコ恩賜の煙草を頂いて明日は死ぬぞと決めた夜は荒野の風も生臭くぐっと睨んだ敵空に星が瞬く二つ三つ!この時代に生まれ合わせた少年達は、こんな歌を何時の間にか頭に叩き込まれ、言葉をついて歌ったり、踊ったり出来たのだと思う。昭和16年から昭和20の子供達は縁故疎開や集団疎開で日本列島の海から離れた山の中のお寺へ疎開させられた。海の近くは最初は太平洋...
2017.05.18 05:44その時の隆之輔のテンション振りこの時の兄、隆之輔のテンションの高ぶりは異常だった。 「なあ!皓三、示現流はこうやるんだ!」と刃を両腕で振り上げる動作をして、「ヤーッ!」と大声を上げて走り出した。 夕刻の帰路に着くサラリーマンの男女がびっくりして道を開けた。たぶん隆之輔のこんな表情は見たことがないと思うので特記しておく。 戦争中は我々は軍国少年に仕立て上げられ、「武士...
2017.05.18 04:17欧米美術について(その一)3月から4月にかけ一人旅で欧米の美術館の現状を見て廻ったが、最初は軍政下のカイロを見たし、後の方ではワシントンでキング師暗殺後の黒人暴動にも会い、激動する世界を肌で感じることが出来て海外で日本についてあらゆる面で考えさせられる点が多かった。目的は美術館、博物館の設備について見学する事にあったが、美術館のような社会教育施設はどこの国でも、そ...
2017.05.18 04:03子供は親のヤッタ通りの事をする子供は親の背中を見て育つ者。つくずくそれは間違いない。子供達は見て見ない振りをしているだけの事。決して親の言う事は利かない。そして、子供は、親の言葉には常に反発している。親は「必ずと言って良い位」親の言う事を利かせようとする。「何故、お前は親の言う事が利けないの」とされど、子供達は究極親のやった通りの事、をするものだ。