集団疎開で目が覚めた
盤脚院は東海道線の藤枝の駅から2里程入った所にあった。山門を潜ってだらだら坂を潜って寺の境内に出ると、正面に本堂がある。昼間の自由時間はその境内で竹馬にのって遊んだ。
竹馬は自分で山から取って来た生竹と荒縄で工夫して作った。晧三は,二輪車に乗れるのが夢だった。大森山王の近辺の友達が自由に自転車に乗っているのを横目で見て羨ましくて仕方無かった。この時に二輪車の自転車を覚えた。盤脚院の倉庫に転がっていた、ぼろぼろのタイヤだけで空気を入れるチューブが無い、スクラップ同然の子供用の二輪車に荒縄を巻き付け、タイヤ代わりにして、何回も乗っている中に、走れるようになった。とにかく、ナイナイ尽くしなのに、どうにか仲間が出来て遊びを覚えた。一番親しく、頼りにしていた三浦英樹が来なかったので、疎開先で話合える友人は誰もいなかった。自分だけで無く、同僚の中でも、ホームシックで脱走する仲間が何人かいた。覚えているが松下君と言う、寝しょんべんターレの松下が、ある朝いないと言うので大騒ぎになった。警察に連絡したら、暫く経って、藤枝の駅から東京方面に向かって、線路を歩いている松下が見つかって、呼び戻されると言う事があった。言うに言われない寂しい気持ちだった。
あ池上通りに面した、呉服屋さんで野中さんと言う女の子が、女親分的な所があって、「おい、山上、みかんの皮をカミソリで小さく刻んで、おみおつけに入れると風邪をひかないよ!と言って、2~3人の女の子の仲間に誘って呉れた。そんな事が如何にも心強かった嬉しかった。「おい、山上、今男の子の間で、怖い遊びが流行っているの教えて上げる」と言って、ミカンの皮を刻み乍ら教えて呉れた。それは「寝ている同僚の男の子にこっそり布団の潜り込んで、「金玉」に縄を結びつけ、皆でヨイショと言って引っぱるのよ!」そう言って大人しい男の子を狙っており、今度は誰にしようか?と相談している所を聞いちゃった!今度は女の子と遊んでいる「山上をやっちまえ!と聞いたわよ!」、話を聞いただけでも、子供なりに身の毛がよだって、腹の当たりが痛くなったのを、昨日のように思いだす。実行される、前の日に相撲大会があり、こんな怖い遊びのボスの肥土君を実は相撲でやっつけてしまった。<<<<この後続>>>>>
疎開前に姉、斗玖子から、喧嘩に強くなるように、取っ組み合いの練習をつけられたり、教育係のオバチャンから、ツルハシやクワを使って、防空豪を使えば、足腰が強くなるので、相撲に強くなれると言うので、一生懸命努力したお陰で、ある時、相撲大会で、ボスの肥土君をやっつけて以来断然学年で有名になり、遊びや喧嘩に自信を持ってしまった。子供の世界では昔も今も腕プシは物を言うように思う。
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