勉強のきっかけはデブのシロ猫だった

オス猫のシロは 聡明で精悍なタマの遺伝子とは全く異なっていた。マルマル と太った、白猫だった。ジーット目を瞑り、外の景色を飽きる事無く、ぼんやりしている姿が4歳の頃の自分の姿に似ていた。小4の集団疎開で一皮むけて、体育系になったが、中2で文系に俄かに変わった。文系に変わると同時に学習意欲が猛然と出て来た。そのきっかけは、中2の国語の玉置先生とこのデブのシロ猫だった。玉置先生は横浜の外人墓地に住んでいて、良く周辺の景色の事を話ていた。メガネを掛けた、品格のある先生だった。晧三は気に入ると良く相手の顔を見つめ相槌を打つ癖があった。確か、教科書の中の場面が、ポーランドの話になった時、晧三は小さな声で”パデレフスキー”と口ずさんだ。「何故、山上君はそんな事知っているの?」と目と目があって玉置先生の国語の時間が盛り上がったのを覚えている。宿題で作文が出された。この時書いた作文が「吾輩の主人」だった。「シロの身体を股 に挟んで、ヤシャ・ハイフェッツの ツゴイネルワイゼンを聞き乍シロ の両腕を振り回し曲が終わるまで つき合わしたら、流石にニャンと 言って手を噛んだ。こんな、光景を宿題の作文に書いがたら、次の国語の時間に「山上君の作文が面白いから教壇で読みなさい」と言われ、読み終わったら、皆が拍手喝采して呉れた。山王小学校(当時は山王第三国民 学校)へを入学以来、成績の事で 褒められ事など無かったのに、努力 すると、成績が上がるものだと言う 事を実感した。その頃から、クラッシック音楽、殊に ショパンの「別れの曲」や「英雄ポロネーズ」を聞くようになり。同時に自分を魅了するものはこれ以上のものは他に無く、急転直下、体育系から 文化系に変わってしまったのだった。 「デブのシロ猫」のお陰で勉強の楽しみのきっかけが作れたのだった。  

山上隆之輔の伝言

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