都都逸の歌から父、栄を忖度
父、栄は都都逸が好きだった。又格言も良く、口をついて出て来た。「世間渡るにゃ豆腐のように四角四面で柔らかく」「上見ればあの星(欲)彼(星)星だらけ、下見て暮らせ(星)の気も無し」とか、偉い役人等に会った時は「深々と頭を下げて、靴の紐が大丈夫かどうか、見るのだ」とか、「商いをするには、俺が俺がの我を通さず、お陰、お陰の下(ゲ)で暮らせ」「男はガサンの眉、女はチンギョ、落雁の美人」とか枚挙に暇がない程、タイミングよく、話の合間に使うのが上手だった。また自分はタイプライター一つで、三井、三菱にも負けないボリビヤのタングステンの総代理店を取得し貿易をした。お前も腕一本で仕事をするのだ。一生勤め人で過ごすサラリーマンや役人の事を、板が無ければ泳げない「蒲鉾」と揶揄して、一国一城の人間になるのだと言う事を口にしていた。晧三も17年程、勉強の積りで、サラリーマンをやったが、入社翌日から、独立を考えていた。民間会社の勤め人は、誰もが一国一城の主になる事は念願していた。隆之輔は栄の言う「蒲鉾」になって、サラリーマンで一生を終えた。晧三は、17年間、総合商社で娑婆の生活をした後、独立した。咲く、桜、残る桜も、散る桜」男だったらやって見ろ!とそんな気分が伝わって来たものだ。19才で住吉大社の久乃と上京するまで、散々大阪尼崎周辺で遊んで得た知恵かも知れない。
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