鹿児島の田中省三
鹿児島の田中省三は18歳で西南戦争に参加した男で、晧三の祖父。幼い頃から父親、栄や兄隆之輔から耳にタコが出来る程聞かされ来た。明治の風雲児だと言う事だ。晧三は、昔の事には余り関心がない男なので、何れ時間が出来て、気が向いたらこの男にもっと思いを寄せて見ようと思っていた。娘の真喜子が九州、宮崎の愛甲家と縁が出来て、宮崎へご挨拶に行った際、ご両親が鹿児島の田中省三の記念館へ、わざわざ車で案内して下さった。元々、横着者で動く事も、旅行も好きでもないので、娘の愛甲家とのご縁が無ければ、九州等遠い所迄足を伸ばす事はあり得なかった。だが、兄、隆之輔も姉、斗玖子も遠の昔にこの記念館は訪問しており、鹿児島の田中省三については良く知っていた。兄、隆之輔は、早大の美術史を専攻して、東京のブリジストン美術館から九州の石橋美術館の学芸員と一貫して、美術の視点で歴史を見て来たのだが、九州へ転属して以来、田中省三についての情報や資料は頻繁に送って来るようになった。娘が宮崎の愛甲家との御縁や、兄、隆之輔の九州への転属によって、鹿児島の田中省三は晧三にとって急接近して来た。こうなると、流石の腰の重い、晧三も、もっと鹿児島の田中省三に寄り添って、調べてみようと思うようになった次第だ。「注」付け加えて置きますが、同性同名の方がネット上ではいるようなので、山上隆之輔の伝言では、「鹿児島の田中省三」と記して置きます。更に、同時代の足尾銅山の田中正三とは混同しないようにお願いします。
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