欧米美術について(その一)

3月から4月にかけ一人旅で欧米の美術館の現状

を見て廻ったが、最初は軍政下のカイロを見たし、

後の方ではワシントンでキング師暗殺後の黒人暴

動にも会い、激動する世界を肌で感じることが出

来て海外で日本についてあらゆる面で考えさせら

れる点が多かった。

目的は美術館、博物館の設備について見学する

事にあったが、美術館のような社会教育施設は

どこの国でも、その社会の基本財産で欧米のど

んな都市でもない方がおかしいくらいで、その

都市の住民が美術館を大切にし誇りにしている

様子がうらやましかった。

日本のように美術館が数える程しかないような

国は文化的後進国といわれても仕方がないだろう。

元来経済と文化は車の両輪で日本は経済優先の

あまりエコノミックアニマルに人間をしたて

みずみずしい人間を育てるような環境を犠牲

にしてきたことが今日の文化的敗退を招いて

いる根本だと私はいいたいのだが経済では

世界第三位(昭和62年、1987年当時の

数字)の生産を誇りながら21位生活水準

に甘んじて日本人の生活と言うものは外国から

みればまことにおかしな国でバーやキャバレーは

は軒を連ね消費生活は一部ではふんだんに無駄

な事が行われている。

このような経済経済のいびつな発展がある一方

文化面では世界の文化遺産である古墳の破壊

など、金もうけのためならブルトーザーで押し

つぶしても恥じない人間がいると言うような

事例は枚挙にいとまがない。全く日本と言う

島国の住民は、島国でしか通用しない常識

しか持っていない愚者の集まりかと慨嘆しない

わけに行かないのだ。

こっけい千万な日本人観光旅行団、

欧州では日本人の観光団体によく会ったが、例

の修学旅行団体よろしく黄色い小旗を持ったガ

イドについて廻っている図は全くこっけいな感じ

がする、どうして一人あるきが出来ないのだろう

かと情けなく思う。人を頼り、自分で現地の

ことも勉強しないで、外国人と直接接触する

こともなく、日本人同士でキョロキョロ街を

見たり迷子になっては大変だとよちよち後を

ついて行く様子などおかしくてみられたもの

ではない。

日本から行っている連中はパリの画家グループ

もそうだし、ロスアンジェルスのリトル東京

でもハワイでもどこへ行っても日本人同士が

小さく固まって生活しているのを見ると、決して

外国に同化しようとしない島国の宿命性感じない

わけにいかなかった。

それは言葉等の障害ではない人間的な基本的

な感情を失っているからだといいたいのだ。

言葉などわからなくても身振り手振りでも

十分通じることができる。ヘレンケラーさんを

持ち出すまでもなく、おしとつんぼになっと

つもりで旅行をすれば文明国では我々の生活

とちっとも変わっていないことが分かる筈だ

し要は言葉より少しでも外国人に接しなさい

と言うことだ。

私はローマの郵便局で小包を日本に送る時、船

便に当たるイタリー語を知らないので船の絵を

描いて渡したら、女の郵便局員はそれを見て

噴き出して笑いがとまらなかったのを覚えて

いる。ローマの女はいつもオツにすましている

ので却って功徳になったと思う位だ。

欧州では日本観光客が多いので、彼らだって

心得たもので、毎日500人も日本人がパリ

の空港に降りると言う位の昨今だから、パリ

の凱旋門近くのエールフランスじょ事務所

には「日本人の皆さまどうぞお入り下さい。」

と日本語で大書きしてあるし、ベニスのサン

マルコ広場でも日本語おうまいイタリー人が

寄ってきて、「あなた日本人?ガラス工場

みませんか?」としつっこいので、ベネチアン

グラスの良いものでもあるかと行ってみると

観光用のの安物を並べてガラス吹き実演して

見せるだけのことで、こういう手合いにうまく

引っかかる日本人が多いいのだろうと思うと

、せっかく映画「旅情」であこがれで行った

ベニスなのにがっかりだった。

観光地は日本でもそうだが、ナポリなども

観光客相手に喰っているので人は悪い。

ナポリの国立博物館ではいやな目にあった。

入館料を200リラも払って入ると、2階の

ポンペイのモザイクが置いてある室などわざと

窓を閉めて暗くして入れないようにしてあった

ので、不審に思っていると守衛がやって来て

ズボンの小銭をチャラチャラと言わせながら

見せてやるから幾らか寄越せと言う。しゃくに

さわったが見ないわけに行かないのでチップ

をやって見せてもらったがどうにも不快であ

った。

これに類することに2、3あったが、日本の

ように純血種で島国だけの生活で他国のこと

をそれ程知らされず、のんびり育って来た国民

にとっては、地続きの欧米諸国のように他人

を見たら如何に食ってやろうかとか、騙されまい

として警戒心を持って生活して来た人間とは

根本的に違うようである。

冷たい都パリはパリ人が嫌いと言う。昼食

にしても、フランスやイタリーは店を閉めて

2時間もゆうゆうと食事をする習慣でその間

会社も郵便局も閉まってしまうので最初は

腹立たしい気持ちだったが、しまいには慣れて

彼らの生活テンポに合わせるようにしたが、

ラーメン片手で食べ乍仕事をしているような

国は日本だけだろう。

だと言うのが日本人の定評だが狭い島国で

一億が食べていくのには何がなんでも働か

ざるを得ないからで、考えれば悲しい習慣

ではある。欧州では19世紀に都市の建設

は終わってしまった訳で、ダンプカーなど

街を走っていない。

石造りの為、日本の明治百年など物の数では

ない200年300年の家がちゃんと住むに

耐えるのである。アムステルダムにはレンブ

ラントの家もちゃんと残っていて立派な美術

館になっている。

パリは古い家は壁が落ちレンガがむき出しに

なっていて、そこが絵を描くのに都合の良い

テーマになるのだろうけれど、こんな汚い

所を何の為に絵にするのかね、とパリの日本

人画家の何人かに意地の悪い質問をして見た

が「さあ、俺に何の」と返答に窮した。

たいていが日本に帰ってからパリの風景画家

などやる為に来ているのだろうが、つまらぬ

ことで、パリの美しさは佐伯祐三によって既に

40年前に描きつくされていると思う。

パリで佐伯祐三のことを考えると、ユトリロ

がよいといっても才能の点で佐伯は決してひけ

を取らないとその感を深くしたものである。

第一、今のパリは自転車が多く、高速道路

など造るわけにも行かないので、風景など

絵になるような場所は全くないと言ってよい

ほどだ。

又、ドゴールの命令で古く汚れた建物は数年

前から白く洗うようにされているので、白

ちゃけて絵になり難いと聞いた。

藤田嗣二もパリの巨匠であり晩年フランス国籍

をとった彼にしては階段の隅のような悪い場所

に掛けられて」いるのを見て、彼らの冷たい

あしらいに義憤を感じたが、フランス人は中華

思想の持ち主で自分の国が一番偉いと思っている

のだから、彼らからしてみればどうみてもエト

ランジエの扱いしかないのだろう。

パリは実に冷たい都市だと言う感じがする。パリ

のホテルのおかみに聞いてもパリはきらいだ、田舎

が良いと言っていた。ゼネストが起こる背景も

こんなところにありはしないかと思う。

ミラノでは久留米出身の彫刻家豊福徳氏に会ったが

木彫りで大きなクルミの厚板に穴を沢山くり抜く

ような作品を発表していた。外国で生活し乍ら

その国の人間に認められるのは想像以上に大変

なことだと言って良い。

米国のボストン美術館は日本美術の宝庫でかっ

て明治末に岡倉天心が初代東洋部長として力

を入れただけあって、国宝級の「平治物語

絵巻」や「吉備大臣入唐絵詞」はじめ仏像

や浮世絵にしても6万枚からあり専門の表具師

が日本から来ている程、此処の浮世絵版画を

除外しては浮世絵の系統的研究は出来なくなる

くらいである。

前、東洋部の富田氏や今は堀岡智明氏が東洋

部長で長く働いておられるが、館員から日本

の現代版画はどうして低調なのかと質問を受けた。

版画では食えないのでしょうと答えたのだが、

浮世絵の国、日本がこんなことで良いのだろ

うかと日本のために惜しむようであった。

そして最近京都から買ったという竹下夢二

の版画6枚を見せてくれて大正ロマンチック

エイジはいいねと感にたえない風であった。

夢二のロマンチシズムは米国でも良く分かる

のである。

この美術館は1970年が創立100年で目下

大改装をやっており、39才の若き館長は

資金集めに奔走しているとのことであった。

の腕のみせどころで、又金持ちが寄付した資金

なり美術品はちゃんと税制面で優遇措置が講じ

られているから、日通の福島某の如き牛小屋

に名画を隠す馬鹿な真似はしないし、良い美術

は世界の宝で皆に見てもらいたいと言う信情

が国民の間に深く浸透しているのである。

未知の世界への挑戦するアメリカの現代美術。

ニューヨークでは画家の猪熊弦一郎氏を訪ねた

が、エンパイヤーステートビルの近くにアトリエ

があり、そこから窓越しに見える街のイメージ

が彼の画作の中心となっているとのことであった。

オフィスだけの東京のビル街と違ってニューヨーク

の都心は高層のアパートが多くそこに住んでいる

住民の都市に対する愛情は日本とは比較にならない

ものがあって、街の表情が生き生きしているのを

感じた。

ニューヨーク近代美術館で休息室の椅子に腰

掛けると大きなウインドウ越しに高層ビルが

立体感をもって迫り、高い高層のガラス窓が

折からの夕陽にきらめいているのを見た時、ビル

そのものが近代美術だと言う実感を深くした

ものである。

だから、アメリカでポップアートが起こりステン

レスの一辺が2メートルもある真四角な箱を

現代美術だと言ってもいっこうに不自然では

ないのだと思う。

アメリカでは古いヨーロッパと違って前途に多難

な障害があるだろうが、それらを乗り越えてより

よき明日の為に未知の世界へ挑戦している若々しい

エネルギーを感じたのである。

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