2017.07.26 22:31山上晧三の教育係はオバチャンだった。山上久子は賀世子の実妹で晧三の 教育係だった。 いつも、朝帰りで、昼間は居なかった。 良く、中華風の甘味のもち米の,折詰 のゴハンを土産で買って来て呉れたのを 覚えている。 晧三が4才の時、引っ越して来たのだが、 大変広く、新しく引っ越しをした山王の 屋敷はお化け屋敷と言われただけに 初期の段階では中々馴染めなかった。 久子が昼...
2017.07.24 03:34親父、栄の金言、俎板と包丁の間に入る人間俎板と包丁の間に入る人間、薩長同盟を結んだ坂本竜馬を想いだせば分かりが早い。喧嘩両成敗とか、歴史上そのような光景は多々あると思う。カレーライスと食パンと合わせてカレーパンが誕生する。相反するものが、カレーパンの誕生によって、新しい局面が生まれる。これにより一歩前椎する。哲学者、ヘーゲルはこれをアウフヘーベンと称し、歴史はこのように弁証法的...
2017.07.24 01:14田崎方規の思い出続編 田崎方規氏は今考えると山上家の大黒柱だったと思う。 又そのように、仕向、育て、有無も言わさず、そのように したのは、やはり決断と実行力のあった、母親、賀世子 だった。 田崎さんからは歌舞伎や謡曲の走りを教わった。 親戚関係の結婚式には、必ず「高砂」を歌って 呉れた。又 「浜の真砂は尽きる...
2017.07.20 00:52薩摩のDNAは示現流は山上家に脈々と流れている。随筆・示現流 昭和19年の11月、隆之輔が疎開先へ突然やってきた。 普段から、兄との話し合いは多くなかったので、兄が何かを告げにやって来た。そんな感じがした。 その日は晴れていた。萬脚院の境内を通って、裏山への入り口には、大きな榧(かや)の木があった。その前を通り抜け、30分程山を登りつめると海が見えた。押し黙ったまま、蜜柑の木の間か...