さようならと言う言葉
集団疎開先へ最初の父兄面会で藤枝
へ来てくれたのは 母親とオバチャン
だった。母親は体が小 さく、細かっ
たので遠出する時はいつも オバチ
ャンと一緒だった。 物資が無くなり、
食べ物も無くなってい て ヒモジイ
思いをしている胃袋を満た す好物
をかき集めて持って来て呉れた。
カンパン だとか、新聞紙に包んだ、
油で 揚げた、ド ーナッツのような
ものを持っ てきて呉れた。
とにかく甘いものや油物 に飢えて
いた。
2・3日居て、帰る時、境内の先
にある 県 道から、何時までも何時
までも手を振 って 別れを惜しんだ。
心細く、寂しく子 供心に 自分の荷
物置き場で、顔を沈めて 、涙を拭
いた。その時の情景が未だには っ
きりと目 に浮ぶ。 余談になるが、
この悲しい別れの侭、翌 年 の3月
10日の大空襲で、お父さん、 お
母 さんとは永遠の別れになってし
まっ た子供 達も沢山いた。
サヨウナラと言う言葉はいつでも
特別な響 き をもって余韻が続くも
のだ。
原因が何 であれ、永遠の別れ程寂
しいもの
は無い。
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