能登半島の富山の光學寺の思い出

能登半島から海を挟んで見える立山連峰は、素晴らしい思い出の景色だ。静岡藤枝の盤脚院から富山氷見の光覚寺へ移ったのは5月だったが、朝目を覚ますと境内越しに残雪の眩しい光景は未だに目に焼き付いている。昭和20年富山の街も爆撃を受け、真っ赤に燃える光景を見乍ら、矢部君と種取用のきゅうりを貪り食い、空腹を満たしながら、唯、茫然と時間を過ごした。矢部君は山王の近くに住んでいて、集団疎開に出てから、初めて付き合うようになったのだが、見るからに可愛顔の持ち主で、心優しい奴だった。小生のあだ名は小僧さん、彼の事を皆ブーチャンと呼んでいた。小生、晧三と妹の冨久子は11月に大森山王へ帰ったのだが、矢部君は人足先の9月頃山王へ帰った。小生が自宅へ帰って間もなく、あるどんよりとした日に母親が訪ねてきて、あの子は盲腸で死にましたと挨拶に見えた。<<続く>>

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