坂本繁二郎との出会い

坂本繁二郎との出会い ロダンの「青銅時代」を肩にかついでいた時、 この70センチ程の像の重さは、私に戦時中 軽機関銃をかついでいた頃を思い出させた。 何と言う平和の尊さであろうか。 昭和27年の正月は、8日のブリジストン美 術館開館を前にして、昼夜平行で働いた。京 橋のブリジストンビルに、砂漠のオアシスと も言うべき美術館が開設されたからである。 それは画期的なことだった。 それ以来59年に定年退職するまで思い出は 尽きない。だが、仕事を通じて、安井曽太郎、 梅原龍三郎、林武、海老原喜之助、川端康成 さんにお会いすることが出来たのは幸せであ った。 昭和36年の春、同じ財団の久留米市内の石 橋美術館に転勤を命ぜられ、久留米では谷口 鉄雄館長、前館長の岸田勉さんや田中幸夫さ んにお世話になり、漆芸の松田権六を通じて 金工の豊田勝秋さんと知り合ったことも心 強かった。 そして、同年の夏、坂本繁二郎にお目にかかる 機会を得たことが、生涯における最大の喜び となった。以降私の脳裡には坂本さんの姿が いつも去来する。 八女のお宅に伺い、その後没せられるまでの 8年館、折に触れお話を伺うことが出来た。 古武士を思わせるその風貌を決して忘れる ことは出来ない。 石橋美術館では没後二度、遺作展を開催させて 頂き、更に残されたアトリエを美術館後庭へ 移築も出来て、坂本さんを慕うものにとって 不滅の記念碑ともなった。 美術館に現れる時は、いつも薫夫人を伴われ 、「自分は小学生みたいなもので、妻がいな いと何もできませんよ」と笑っておられた。 紅葉したハゼの木の下に立たれた晩年のご 夫妻の写真がよく出来ていた。 謡曲「高砂」の尉と姥そのもののお姿で現れた。 この写真は、星野さんと言う久留米のラーメン 屋の主人が撮られたもの。星野さんは、坂本 さんに深く傾倒し、開店祝いに色紙を所望し た所、快く引き受けられ、後で頂きに上がる と、本格的な8号の油絵「達磨」が出来ていた のに驚いたと言う。 それは倒産して一家心中まで考えたことがある 星野さんの話に、いたく感動された坂本さん が、7転8起の意味を込められて描かれたもの だった。 また当時洋裁を教えていた八女の樋口文化学院 の院長樋口さんを師と仰ぐ新人会が批評会の場所 に使っていた。 坂本さんは、そのお礼に、と言う気持ちがあった のか、ある日「鋏を描きたいから貸して下さい」 と言われ、樋口さんが何気なくそこにあった洋 鋏を差し上げところ、もうすっかり忘れた頃に 「絵が出来たので取りに来て下さい」と言われて 伺うと、何と美しい布地の上に乗った「鋏」と だいした立派な作品(4号)が出来ていた。 坂本さんは「鋏は洋裁の魂でしょう」と言われ たそうだ。後年、遺作展の折、絵具のこびりつ いたその鋏でテープカットをさせて頂いたこと も忘れられない。 安川電機の社宝とも言うべきモーターを題材にし た絵にしても、会社は馬の絵を描いてもらうつもり でお願いに行ったのに「モーターは機械の心臓 でしょう。モーターを描きましょう」といわれ、 社では「機会が本当に絵になるだろうか」と、 不思議に思ったそうである。しかし、同社製品 のモーターをアトリエ置いたら翌年(27年) に完成した。 今にも唸りをあげて動き出しそうなモーターで ある。社の秘書の話では、同社の出荷製品を入れ た木箱にうっかり腰を下す新入社員はえらく怒ら れるそうだ。坂本さんが教えた機会に魂が入って いると言う考えは、世界に誇るべきことではなか ろうか。 文化勲章の数学者岡潔さんは、41年に坂本さん と対談したが、初対面ながら百年の知己のよう だった。帰途、美術館に寄られた岡さんは、他の 絵は一切見ず、真っ直ぐに坂本さん作品を飾った 場所に行き、その中の「親子馬」に吸いよせられ るように見入って動かなかった。 私は側にいて、お疲れになってはと思い、小品の 水彩を壁から外して手元で御覧に入れた。すると 、岡さんが「今失われているのは親子の情愛です。 この絵にはそれが一番良く出ています。日本は 百年しなければ目が覚めません」と言われたのには ショックを受けた。 岡さんの数学の世界も、コンピューターの支配する 冷たい理論でなく、血の通った情愛の世界だった のであろう。 沖縄が日本復帰前、「島の子供達を久留米に呼ぶ会」 が出来た時も、坂本さんは、すすんで色紙を描いて それを資金源にされたとも聞く。 最晩年の「月」の連作には、透徹した坂本さんの 宇宙観がうかがわれる。 没後、一週間に、アポロ宇宙船が月に到達したが、 坂本さんは、いながらにして宇宙を自己のものと しておられたと思う。宇宙飛行士達も宇宙で神を 感じたと言う。 哲学感、宗教感の無い作品など形骸に過ぎない。これが 私に教えられた巨匠の精神である。          

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