隆之輔の伝言の中の様々なエピソード

隆之輔の伝言は今後ますます面白くなる。日本語の特殊性を考えながら、殊に鹿児島の薩摩隼人や大阪住吉大社の流れの本流を書いて行く積りだ。父、栄は正枝と言う、住吉大社系統の義理の妹がいた。大社系統は美人系で彼女の風貌は姉、斗玖子の言を借りれば、大正ロマンの竹下夢二の雰囲気の持ち主だった。皓三も正枝に連れられて小2・小3の頃、大森池上通りにある新井宿の中の湯へ、連れて行って貰ったのを、良く覚えているが、肌はまるで、ゆで卵のようであった。大阪のオバチャンと呼んでいた。彼女の息子さんは滋さんと言って、昭和20年8月15日以降、シベリヤへ抑留された、スターリンの犠牲者だ。正枝は倅の帰国をを待つ、正に岸壁の母だった。滋さんは家内の玲子や妹の冨久子も女学校の修学旅行の際に大阪で逢っているが、まるで映画俳優のような美男子だった。彼は帰国後、総合商社の丸紅の鉄鋼部に配属されたが、もともと、独立心の強かった性質だったので、栄の血をついで、「鶏頭となるも、牛尾となる勿れ、とイタリーの靴輸入と神戸の靴の輸出入を開始した。父親、栄は一生サリーマンで過ごす男の事を、「蒲鉾」と揶揄していた。つまり板が無ければ泳げない、ひょうろくだまと言って、男は一国一城の主となるべきだと主張していた。しかし乍世の中はイッポンドッコで成功するにはそれ程甘くは無い。靴の扱いで、最終的には友人の裏切りがあったり、資金が続かず失敗に終わってしまうのだが、滋さんは体はそれ程大きくはなかったが、シベリヤで生き抜いて来ただけに精神的には焼きが入っていた。様々な事件に遭遇し乍ら最終的には最愛の母親正枝や奥様よりも病死してしまうのだが、この背景は辿ると正に山あり谷ありだ。<<続く>>


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