熱海仙人風呂の御曹司
浜田文一郎の愛称は文ちゃん。細身で色白、背丈は
180センチはあったろうか!小学校、中学校以来
縁が無かったタイプだ。
大森山王の拙宅に遊びに来た際、母親は面食らいだか
ら、第一声が「素敵な子ね!」だった。姉は「あれが、
熱海の仙人風呂の御曹司なの!貴公子ぜんとしてい
るわね」と家庭の話題をさらってしまった。
彼には四谷の叔母様と言って、仙人風呂の教育係がい
た。背の高いメガネの似合う品の良いご婦人で、四谷
の文ちゃんの下宿先の多分お目付け役だったのだろ
うか?小、中学校時代の友人達は、スポーツ系で
どちらかと言うと理科系の友人が多かったのだが
文ちゃんは文化系と言うよりも「文学少年」だった。
大人びていて、フランス映画やイタリア映画が好き
で、彼の影響で5~6人のグループで、映画を見に
行った。「モーパッサンの脂肪の塊」「アンドレジード
の田園」「魅せられたる魂」「ジャンクリストフ」等
でついて行くのが大変だったが、絵が好きだったり
格闘技が得意だった小生に殊の他興味があったのか、
付き合いはグループの中でも一番親しかった。
彼はピアノが得意だったが、習い始めたのが小6から
で遅蒔きと言えるが近くには「ショパンの幻想即興曲
の発表会が予定されていた。習い初めが遅かったのに
上達が速かったと言える。
小生も感化されたのか横道利一の本等を見て将来は
絵描きに成りたい等で、四谷の文ちゃんの下宿で青臭
い芸術の話に酔ったものです。
あの思い出深い日は2月の底冷えのする日だった。夕方大森山王の拙宅へ、ヒョッコリやって来て、「オイ、今晩付き合ってくれよ!」と言う。日比谷公会堂で「ショパンのピアノコンチエルト」があるんだ。と言う。其のころ、彼の影響を受けており、将来は絵描きになりたいと言う夢があった。
その日の演奏が終って、外へ出るとかなり雪が降っており、大森方面の電車が不通になり、今晩は新橋から四谷の彼の家へ泊る事となった。
雪の中を歩いて、千鳥ヶ淵を抜けて辿りつき、一晩青臭い芸術論を戦わしたものだった。<続く>
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