隆之輔の父、栄の結論


結論は栄の言う通り、「世間渡るにや、

豆腐のように、四角、四面で柔らかく」

と言う都都逸が一番賢いと言う事だ。

栄は大阪で生まれ母親久乃と19才で

東京へ出てきて、夜は屋台で雑貨を売り

ながら商業学校で英語と貿易を学習して

昭和13年には、ボリビアのタングス

テンの総代理店を取り、第一船が神戸港

に入り決済も終わりその金で大森山王に

邸宅を購入した。

16年には太平洋戦争が始まり、諸般の

事情から、その輸入権利も浅野物産に譲

渡を余儀なくされた。

明治、大正、昭和を生きて、栄の得た結論

は大学だけは出ろと言う事だった。


山上隆之輔の伝言

山上隆之輔の伝言


0コメント

  • 1000 / 1000