男は猫派が多いと思う

●晧三は猫派 山の知人に貴方は猫派

それとも犬派と 聞かれた事がある。



 昔11年間、飼い続けたタマと言う

メス 猫が大変、なついていたので猫

派だと 答えた。 猫は人の気を引くの

は上手で、追いか けると逃げる女心

を持っているような 気がする。


 猫の写真をネットで見たらまるで噴

き 出して仕舞う表情の写真が1杯出

て来 た。 


 小1から高1迄11年間飼い続けた

タマ はメスだったが筋肉質の精悍猫

だった。 可愛いと言うよりも、むし

ろ利口なメス だった。


近所の大型犬のシロと茶色の 猛犬同

志が「ウーッと!」アワヤ噛み 合い

の大喧嘩が始まるのを聞きつけ 、2

メートル近くある、塀を一気に飛び

 超え、真ん中に入り猫パンチをして

仲 裁した。


 小生が小一の入学時、玄関の前に捨 

てられていた。産毛でピンク色の皮膚 

が見え、手足は割りばしのように折れ

 そうに細く角ばっていた。


 母親は猫嫌いで飼っては貰えないの 

は分かっていたので悩んだ。 母親賀

世子は子猫の瞳と睨めっこをし て負

けた。飼っても良いと言う許可が出

 た。 


 子猫の名前はタマと名付けられ、病

弱 の母親の守護神となった。母親は

耳が 遠く、玄関に人が来ても気がつ

かない 事が多かったが、そんな時は、

タマは 足に絡んで、玄関先へ、すっ

飛んで行 って、背中を丸くして、フ

ァーッと言って 客を威嚇したりした。

其処には大抵人 相の悪い男がいた。 


 爾来、母親はタマを一番可愛いがり

タ マも母親に一番なつくようになっ

た。 


 小生が高校2年の2学期の人文地理 

の試験の時、「サヨナラの挨拶があ

った。 こればかりは不思議な感覚だった。」 


 家に帰ると「今日タマが死んだ」と知ら

 された。一番悲しんだのは母親、賀世 子

だった。 



 小生が小一の入学時、玄関の前に捨 てら

れていた。産毛でピンク色の皮膚 が見え、

手足は割りばしのように折れ そうに細く

角ばっていた。あのタマ の死は暫く余韻

が消えなかった。 


 でも、メスだったのでコロと言うメス猫

とシロ と言うオス猫を残していった。



オス猫のシロは タマの遺伝子とは全く異

なっていて、マルマル と太った、白猫だ

った。 ジーット目瞑り、何時までもおっ

とりと縁側 に座って外の景色を飽きる事

無く、動かない 姿が、何よりも愛らしく

好きだった。 



 中学校2年の時、晧三がスポーツ系から、 

音楽や絵画等の文系に拍車が掛かった の

は、実はこのシロがきっかけを作った のだ。



 ●病気がターニンポイント 文系に切り替わ

る直接のきっかけは、 運動のし過ぎで膝の

軟骨に支障を来す あのオスグードシュラッ

テル氏病、今 は成長病と言われている病に

罹った 事だった。 その頃、周囲で、この病

に罹っている ものは知らず何か特別な奇病

と感じ て酷く落ち込んでしまった。


一寸触れ ただけでも頭の芯まで響く激痛う

が 走るので、妹、冨久子がふざけて蹴り を

入れたりされて良く泣いたものだ。 


 その頃から、クラッシック音楽、殊に 

ショパンの「別れの曲」や「英雄ポロネーズ」

 に聞いて以来、こんなに引きつけられる も

のは無く、急転直下、体育系から 文化系に変

わってしまったのだった。 



 中一の終わり頃、太宰治の「人間 失格」や

兄の隆之輔が早大の美術史を 専攻して、

美術書や絵の道具を部屋に 放置したのをき

っかけに、悪戯に弄った りしている中に日記

を書いたり板に油彩 を描いたりし始めた。 


 隆之輔が以前、買った「野村胡堂・ 野村あ

らえびす」の本を開いたら、 音楽家の伝記や

写真が沢山載ってお り、それをコンテで描

いて美術の先生 に提出したりして、服部先生

に好感を持 たれたり何か学校が嫌いで無く

なった のはこの頃からだった。 



 ある時あのおっとり猫のシロを股 に挟んで、

ヤシャ・ハイフェッツの ツゴイネルワイゼン

を聞き乍、シロ の両腕を振り回し曲が終わ

るまで つき合わしたら、流石にニャンと 言

って手を噛んだ。 



 こんな、有様を国語の玉置先生 の時間に

「吾輩の主人」という題名 で書いたら、大

変面白いと言って 生まれて初めて褒められ

た。 



 山王小学校(当時は山王第三国民 学校)へ

入学以来、成績の事で 褒められ事など無か

ったのに、努力 すると、成績が上がるもの

だと言う 事を実感した。



 聞いてバカバカしいと思うかも知れ ないが、

この時の国語の先生、玉置 先生が、皆の前

で褒めて呉れたのが、 勉強が好きになるき

っかけだった。 



これは晧三にとって、紛れも無い事実 だっ

たのだ。 



●猫のシロとツゴイネルワイゼン その学期末

の国語の成績は優だった。 



 これがきっかけとなり、親友の久保田 一夫

に本将棋を教わったり、大森駅前 の本屋へ、

賀世子から小遣いを貰って 代数の参考書を

買ったり、俄然学習 に前向きになった。


つまり芽が出始めた のだった。 晧三にとっ

て、猫のシロ、国語の玉置 先生、ツゴイネ

ルワイゼン、ポーランド の大統領パデレフ

スキー大統領、横浜の外人 墓地、アインシ

ュタインより頭のでかい 久保田一夫、慶応

ボーイ、明治生命 の重役、慶応の学生帽、

早慶戦 の 

 ●キーワードは晧三の人生を変える ターニ

ングポイントだったのだ。 

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