隆之輔の紹介で知った原田哲夫先生

懐かしいあの原田哲夫、そう、そんな呼び捨て等 してはならない、小生にとって、人生を変えて しまった程の影響力の大きかった方なのだ。 生まれつきソコヒだったが、読書好きでなんと 18か国も自由自在に扱う事が出来た。小生は 大学時代から娑婆に出てからも2年程 通った。英語とドイツ語を習った。 毎週土曜日の6時から8時までの2時間だが、 60%は世界のエロ話で時間はあっと言う間に 過ぎてしまうのだった。 渋谷、明大前、下北沢と乗り継いで毎週通う事 が楽しく、原田先生も小生がやって来るのを首 を長くして待っていた。 教材はアービングの幽霊屋敷とジキル氏と博士 だった。ボキャブラリーが多いので単語力が身 についた。兎に角、歯切れの良い語り口調で、下 北沢周辺でも名が轟いており言葉の学校等の開 催を依頼されていた。 ボロボロのアパートを3部屋程使って、18か 国語の原書が転がっていた。授業は炬燵で一体一 で指しで行われた。 アメリカ人には、英語の文法を教え、東京女学 館や双葉のお嬢さん方には英会話を教えていた。 大使館や領事館の御仁との付き合いも多かった。 その昔はGHQの通訳だったが、電話の音が嫌 いで炬燵の指導者になった。 小生の結婚式では、完全に他の来客を圧倒して しまった。その時彼は日大の客員教授となって いた。 こんな人となりの人間だった。今はどうしてい るだろうか?一番懐かしい人生の大先輩だ。 彼は東北大出身。だから、国大では東北大の フアンとなった。 中学時代の裕ちゃんと原田先生を誘って、新橋 の焼き鳥屋で36本のレバーを食べた。そんな 話を玲子に話すと、流石に眉をひそめていた。     

山上隆之輔の伝言

山上隆之輔の伝言


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